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札幌高等裁判所 昭和25年(う)91号 判決

被告人

上田進

主文

被告人に関する原判決を破棄する。

本件を札幌地方裁判所岩見沢支部へ差し戻す。

理由

検察官の控訴趣意第一点について。

(イ)  原判決は、証拠によつて、原審相被告人渡辺正雄は昭和二十四年十一月十四日夕張市清水沢大夕張鉄道線路附近で猪股光治を捉へ手拳で光治の顔を数回殴ると傍にいた被告人は同被告人と意思相通じ逸早く逃げ出した光治の後を追つて捉え手拳で光治の顔を殴つて暴行を加えた事実を認めているのであつてこの事実は暴力行為等処罰に関する法律第一條第一項にいう数人共同して刑法第二百八條の罪を犯したことに該当するのであつて、この事実に対しては刑法第二百八條、第六十條を適用すべき限りではない。

同第二点について。

(ロ)  原裁判所は前記のように、暴力行為等処罰に関する法律第一條第一項該当の事実を認定し、起訴状に罰條として刑法第二百八條を掲げてあるので審理中にありて検察官に対し右罰條を暴力行為等処罰に関する法律第一條第一項と変更すべきことを命じたが検察官がこれに従わなかつたので無罪の言渡をしたのである。しかしながら本件においては訴因自体暴行の実行共同正犯の事実が記載されており、それに対して一般法である刑法第二百八條が挙示されているのであるから被告人の防禦の方法は事実問題については何等それによつて異なるところはないのである。本件においては被告事件について犯罪の証明がない場合でもない。また被告事件が罪とならない場合でもないから起訴状記載の罰條の変更を要せずして原判決の認定した事実に対して暴力行為等処罰に関する法律第一條第一項を適用して有罪の判決を言渡すべきものといわなければならない。従つて原裁判所がこれと異なつた見解のもとに無罪の言渡をしたのは刑事訴訟法第三百三十六條の解釈を誤つたものであつて、しかもその法律違反は判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、この点において本件控訴は理由がある。

(検察官検事鵜沼武輝の控訴趣意)

第一点

裁判所は果して本件の場合起訴状に記載されている刑法第二百八條の暴行罪の罰條を適用して処断することができないものであろうか。いま原判決をみると「被告人正雄は手拳で光治の顔を数回殴るとそばにいた被告人進は被告人正雄と意思相通じ逸早く逃げ出した光治の後を追つて捉えいきなり手拳で光治の顔を殴つて暴行を加えたことを認めることができると」と判示しさらに「敍上のように数人が暴行の実行に相通謀するに止らず暴行の行為自体が数人のものによつて実行された場合は刑法第二百八條の暴行罪に該当せず暴力行為等処罪に関する法律第一條第一項の罪を構成するものであることは極めて明白である」といつているが判決所論のごとくであるとするならば暴行行為を処断すべき適用法條は刑法第二百八條の暴行罪(即ち単純暴行)かしからずんば暴力行為等処罰に関する法律のいずれかしかないという結論になる。しかしながら暴力行為等処罰に関する法律の立法の趣旨を立法当時の社会情勢を背景にして考えてみると同法第一條第一項の「団体」といい「多衆威力」といい、あるいは「団体もしくは多衆を仮装して」という文字により推断されるものはある一つの色彩をもつたものであり「数人共同して」という規定も右のそのような団体あるいは多衆の例示的な表現にすぎないものであることがうかがわれるのである。なるほど従来の判例は同法第一條第一項の数人共同とは二人以上であればよいということになつているが敍上のような団体の構成分子である場合ならば法の予想しているような相当多数の人数でなくてもよいとの意味であろうと思われるのである。もしそうであるとすれば刑法第二百八條の単純暴行と暴力行為等処罰に関する法律第一條第一項に該当する暴行行為との中間に共謀による暴行という概念が入つてくることは少しも差し支えがないばかりか必要でさえあると考えるのである。刑法第六十條の規定が同法第二百八條に関する限り、特にその適用を排除されると考うるべき何等の理由はないのである。また本件の場合検察官は加重刑である暴力行為等処罰に関する法律の法定刑による処断を求めておらず、刑法第二百八條の罰條による法定刑の範囲内で被告人等の処断を求めているにすぎないものであり、かつそうすることは少しも被告人等にとつて不利益ではないのである。また原判決は前述のように単純暴行とも解される事実認定をしているのであるから起訴状に記載された刑法第二百八條の暴行罪の罰條を適用して処断して差し支えがないものと考えるのである。原審が本件は暴力行為等処罰に関する罪を構成するとなし同法の罰條を適用して処断しなければならぬということに固執しているのは明らかに法律の適用を誤つた違反があり、この点において原判決は到底破毀を免かれないのである。

第二点

敍上のように本件は起訴状記載の罰條を適用して何等差し支えのない事案であると思うがもし判決所論のように起訴状記載の罰條ではこれを処断することができず暴力行為等処罰に関する法律第一條第一項を適用すべきものであるとするならば、本件は起訴状の罰條の記載に誤りがあつたというにすぎないこととなるのである。そこで原判決には「本件の如く起訴状に暴行罪の罰條が記載されているとき罰條の変更がないのに起訴状に記載されていない暴力行為等処罰に関する法律第一條第一項の罪の罰條を適用して処断するのは明らかに被告人の防禦に実質的な不利益を生ずるものであつて云々」と判示しているが果して本件の場合裁判所が職権で暴力行為等処罰に関する法律第一條第一項を適用して処断できないものであろうか一考を要するものがあると思う。

なるほど判示のように裁判所が実体判決をするには訴因と罰條とに拘束されるものであることは言を俣たないところであつてもし裁判所が起訴状に記載された訴因と罰條で有罪とすることができず、それ以外の訴因罰條を適当と考えるときは訴因罰條の変更追加を命じるべきでその手続をとらないで起訴状に記載のない訴因罰條で有罪をみとめることはできないであろう。しかしながら法律的実体形成はもともと裁判所の職権によるべき性質のものであるから右に述べたところの中で罰條の拘束は絶体的のものと考えることはできない。それが被告人の防禦に実質的な不利益を生じるおそれがない限り起訴状に記載された以外の罰條を適用することが許されるべきものであると解すべきであろうと思う。刑事訴訟法第二百五十六條第四項但書に「但し罰條の記載の誤りは被告人の防禦に実質的な不利益を生ずるおそれがない限り公訴提起の効力に影響を及ぼさない」と規定されているのはこの意味に解釈するのが適当であると思う。

即ち被告人の防禦に実質的な不利益を生ずるおそれがなれけば単なる罰條の記載の誤り(この場合罪名と罰條とは表裏一体となつているものであるから罪名も含む)は公訴提起の効力に影響を及ぼさず、従つて裁判所はこのような起訴状に基いて実体的裁判をなしうるわけであり、また起訴状に記載されている以外の罰條を適用することができるものと解するのである。

それで本件の場合裁判所は起訴状記載の罰條を適用して処断できない理由としてもし暴力行為等処罰に関する法律第一條第一項を適用すれば「被告人の防禦に実質的な不利益を生ずるものである」といつているが被告人の利益、不利益がいかなる基準によつて判断されたものであるか詳かにしないがおそらく刑法第二百八條の暴行罪と暴力行為等処罰に関する法律の法定刑の軽重にあることによるものであることは想像するに難くないのである。もしそうであるとすればそれはあまりにも被告人の防禦上の利益を形成的に計量するものといわなければならない。むしろ被告人の防禦上の利益の基準となるべきものを求めるとすればそれは展開されつつある訴訟の過程の中にさらに公訴事実の中にこれを求めなければならないと考うるものである。即ちこの場合「防禦」とは当該訴訟手続の中における「防禦」であり「実質的」というのは公訴事実と関連させて考えてはじめて「実質的」といいうると思うのである。これは刑事訴訟法第三百十二條とくにその第四項の規定に徴し明らかであり、かつ法定刑の軽重が基準であるとすれば起訴状に窃盜罪の規定が適用罰條として掲げられている場合に強盜罪の規定を適用することはできないが詐欺罪あるいは横領罪の規定を適用することが許されるという結論になる。しかしながら訴訟上の攻撃防禦は主として犯罪事実を中心に展開されるのであつて右の場合被告人は「自分の窃盜罪で起訴されていると考えたから窃盜罪を構成しないという点に弁明の主旨を置いたのだが、もし詐欺罪に該当するとされるのを知つていたならばそれに対する弁明の方法は沢山あつたのである」という嗟声を発せしめる結果となり不合理である。

本件の場合たとえ原判決所論のように暴力行為等処罰に関する法律第一條第一項を適用すべきとしても本件公訴事実そのものはいささかも変更を要しないのであるから裁判所は暴力行為等処罰に関する法律第一條第一項を適用してもそれが被告人の防禦に実質的な不利益を生ずるものであるということにはならないのである。故に原審はこの点において法律の適用を誤つた違法があり、原判決は破毀を免がれないのである。

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